スノーボード世界トップの実力を誇る平野歩夢さんの経歴や学歴とそれにまつわるエピソードをご紹介します。
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幼少期〜の平野歩夢さん
平野歩夢さんは、新潟県村上市出身です。村上市は、新潟県の北に位置し、日本海に面していて自然が豊かなところです。雪も降るのですが、さほど多くはなくオリンピック選手を輩出するような環境を整えるのは少し難しいとも言えます。
地元では「あゆみん」と呼ばれていたそう。4歳からスケートボードを始め、父親が営むスケートボードパークでスケボーに夢中になりました。スケートボードを始めた半年後にスノーボードも始めました。
そんな平野歩夢さんの学歴はこちらです。
- 新潟県村上市立村上南小学校を卒業
- 新潟県村上市立第一中学校を卒業
- スノーボード専攻がある開志国際高等学校のアスリートコース卒業
- 日本大学スポーツ科学部に入学
10歳でスノーボード用品のメーカーで「BURTON(バートン)」と契約を結び、14歳でスノーボード日本代表に選出されました。平野歩夢さんが師匠と慕う、國母和宏さんと経歴がとてもよく似ています。
中学生のうちから2011年、2012年の全米オープンのジュニアジャムで連覇するなど、かなり若い頃から実力を発揮されています。
2013年 X Games銀メダル
2013年のアメリカのアスペンで開催された、オリンピックよりも高難度の技が繰り広げられるといわれる大会。この大会で14歳の平野歩夢の名が世界中に轟きました。
他の選手よりもひときわ高いジャンプで大会史上最年少で銀メダルを獲得。オリンピックのメダル候補に躍り出ました。
この動画は2本目のラン。完璧ですね。優勝は、ショーンホワイト選手の98点。平野歩夢さんは92点でした。
2013年、2月に開催されたスイスのラークス開催のヨーロピアンオープン、8月にニュージーランド開催のW杯開幕戦では共に優勝、さらに同年、TTRワールドスノーボードツアーの年間王者に君臨しています。
2014年 ソチオリンピック銀メダル
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2014年に開催されたソチオリンピック。平野歩夢は当時、15歳でした。決勝で1回目は90.75点、2回目は93.50点と高得点をマークし2位となり、銀メダルを獲得しました。金メダルはポドラドチコフ選手、銅メダルは、平岡卓さんです。平岡卓さんと共に、日本人史上初のスノーボード競技のメダルとなりました。さらに、冬季五輪での日本人史上最年少記録であり、スノーボードの最年少オリンピックメダリストとして、なんとギネス世界記録にも認定。「スノーボードを通していろんな人に夢を与えたい」と語った言葉通り、世界中にファンを作った大会でした。
2015年 ワールドスノーボードツアープロシリーズ・シーズン王者
2015年ではヨーロピアンオープンで2位、USオープンで3位の成績を残し、ワールドスノーボードツアープロシリーズで男子ハーフパイプ部門にてシーズン王者に輝きました。
2016年、スイスのラークスで行われたLAAXオープンでは、決勝の3本目のランで完璧な滑りを見せ1位となり優勝しました。
2016年 X Games金メダル獲得
ノルウェーのオスロで開催されたXGamesでは決勝戦の1本目のランから94.66点という高得点を叩き出し優勝、同大会ビッグエアに出場した角野有基選手(19歳)と共にXGamesでの日本人初金メダル獲得の偉業を成し遂げました。
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インスタグラムに、以下のようにコメントしています。
X GAMES 優勝!日本での最初の金とりました
X GAMESで優勝出来た事まず周りの全ての方に感謝してます。
ずっとX GAMESだったり他の海外のコンテストに今の自分のスノーボードに何が必要で、人がやれない自分のスタイルだったり、オリジナリティだったり、違う何かと共通させる事だったり、自分の滑りってのにこだわりを持ち続けてやってきて、それを世界のコンテストで表現できれば自然とした自分の滑りがこうやって結果になって、自分自身やりたいスノーボードってのが1年1年変わってきてる事、それが今回こういう結果がついてきたって言う事を感謝と誇りにもってます。
今シーズン残りのコンテストも命がけでスノーボードやってきます
2017年 USオープンで負った大怪我
数々の輝かしい経歴を持つ平野歩夢選手ですが、2016-2017年シーズン最終戦のUSオープンでボードがパイプの淵にひっかかり転倒。左膝の内側側副じん帯と肝臓を損傷し、全治3ヶ月の大ケガをします。(結果は7位)
「あぁ、終わった... 。絶対滑れねえな」と感じたそうです。
次の平昌オリンピックに向けて、気が遠くなるようなリハビリを毎日続け、驚異的な回復をします。(雪の上ではなく)陸上で徐々に感覚を取り戻しました。当時の平野歩夢さんの強みに変えられる要素は、怪我をしている間でも他の選手は練習しているという状況の「悔しさ」だけでした。
4歳から指導している父・英功さんは、今まで平野歩夢さんは感覚だけで偉業を成し遂げてきたので、「技の説明や今まで感覚的だったものの説明を言葉でできるようになって、彼の技術をもっと確かなものにしていける」とポジティブな声掛けをしています。
雪上に復帰するも、怪我の恐怖体験がフラッシュバックしてなかなかうまくいかなかったといいます。「恐怖やトラウマはつきものだと受け入れないと... 」と自分に言い聞かせました。感覚を取り戻すために取り入れたのは平野歩夢さんが小さな頃から慣れ親しんできた「スケートボード」への回帰。より繊細な感覚が必要なスケートボードによって、踏切の微妙な感覚を取り戻そうと試みました。
そして、2017年9月、ニュージーランドW杯を迎えます。怪我以来半年ぶりとなる実戦。大技・1440(4回転)はやらず、力を抑えながら参戦しました。しかし、共に参戦していたまだ15歳だった戸塚優人さんが平野歩夢さんの負けず嫌いな精神に火をつけます。戸塚優人さんが、1回目の平野歩夢さん得点を上回ると、2回目のランでまだ練習でもできていなかった1440にトライします。惜しくも尻もちをついてしまったが、再び1440に挑めたという大きな前進がありました。
ニュージーランドでの合宿後の会見で「平昌オリンピックで優勝できるイメージが既にできている」と力強い発言をしています。逆境に打ち勝つ強い精神力が伺えます。戸塚優人さんが優勝、平野歩夢さんは2位でした。
そして、アメリカ・コロラド州のW杯2戦目で優勝。ショーンホワイト選手やポドラドチコフ選手などの強豪が集まりました。ショーンホワイト選手は、この大会の3ヶ月前、顔面を62針縫う大怪我を負っていたにも関わらず目の前でダイナミックな滑りをするショーンホワイト選手を見て、ここでもまた負けず嫌いな精神に火がつきます。完璧なタイミングでの踏切と同時に、ついに実戦で1440(4回転)を成功させます。圧倒的な得点で優勝は確実とされていたのにも関わらず、次のランで、世界中の誰1人と成功していない2回連続1440に挑みました。2回連続は成功しなかったものの、精神的に完全に前向きになっている様子が伺えます。「自分は攻めて、周りを黙らせる滑りをするしかない。さりげなく勝つのは嫌」と語っていたがありますが、まさにそれを行動で示しました。
「歩夢は素晴らしい選手だ。闘志が湧いてきた」とショーンホワイト選手の負けず嫌いな精神にも火をつけたようです。
さらに、W杯中国の3戦目でも優勝。
2018年 X Games金メダル
解説の方も奇声まじりで興奮していますね(笑) ついに4回転を2連続で成功。
ダブルコーク1440を2連続でかまし、さらに間髪入れずダブルコーク1260を2連続でかますという前人未到のルーティンを成功させ、99点の驚異的な点数で優勝しました。
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- バックサイド・インディ
- フロントサイド・ダブルコーク1440
- キャブ・ダブルコーク1440
- フロントサイド・ダブルコーク1260
- バックサイド・ダブルコーク1260
2018年 平昌オリンピック銀メダル
「自分は攻めて周りを黙らせる滑りをしたい」と意気込みを語り臨んだ平昌オリンピック。最大の敵はオリンピックで2連覇を果たしているスーパースター・ショーンホワイトです。2週間前のX Gamesで達成した2連続4回転が成功すれば間違いなく金メダルだろうと思われましたが、結果は銀メダル。
金メダルは絶対王者のショーンホワイト。ただし、これは誤審だったのでは?と波紋を呼びました。誤審だったと考えられるのは、グラブ(ボードを手で掴むこと)
スノーボードの技はグラブの成否が得点に大きく関わリますが、平野歩夢さんがしっかりとグラブしているのに対して、ショーンホワイト選手はボードに触れている程度です。
ショーンホワイト選手は、ヘルメットを投げて悔しがったり、大声をあげてガッツポーズをしたり、観客を盛り上げるエンターテイナーとしての素質があるため、その点が審査員の感情を動かしたのではないか、という意見もあります。
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ただし、平野歩夢さんは「結果は銀メダルだったんですけど自分ができる全力の滑りを上から下までできたことが自分にとって一番嬉しいことです」と語っていますので、純粋に銀メダルを称えたいところです。
2018年 USオープン金メダル
USオープンは昨年に大怪我をした大会でもあったため、精神的なプレッシャーがあったと予想できますが、見事優勝。日本人初の快挙となるX GamesとUSオープンの二冠を達成しました。
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「今後も足跡のないところに歩いていきたい」と強い想いを語っています。この大会の2位は片山來夢さん。日本人が1、2フィニッシュを達成しました。
2020年 東京オリンピックに向けて
なんと平野歩夢さんが東京オリンピックでスノボではなく「スケートボード」で挑戦する可能性があることを発表しました。
「オリンピックの正式種目になってしまった以上、スルーするわけにはいかない」、「冬(スノーボード )と夏(スケートボード)の両立をしている人はまだいないので、自分への挑戦という意味でチャレンジしたい」と語っています。
とはいえ、スノボとスケボーは似て非なる競技です。スケートボードも4歳からやっているとはいえ、選手としてはゼロベースと言えるでしょう。「これから目指す子達と同じ気持ちでスケートボードを考えている、両方が中途半端になることも覚悟で挑戦する」と胸中を明かしました。
今後も平野歩夢さんの活躍から目が話せません。
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